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2015年10月28日に、noteにて書いた記事です。
日本が隠蔽した昭和十九年十二月の東南海地震。
日本が隠蔽した昭和十九年十二月の東南海地震。
名古屋気象台発表
昭和十九年十二月七日、11:36
マグニチュード7.9
被災地は主に愛知県半田市、中島飛行機半田製作所。
倒壊家屋、およそ5万4000戸、
死者および行方不明、1223名
死者153名、うち学徒勤労動員96名。
このような隠蔽は珍しくないとの事。
中島飛行機半田製作所では各地から学徒が集められ、劣悪な環境で作業に従事していた。
毎日の食事は少しの米と味噌汁。
一月に319時間労働、一日平均12時間。
震災によりレンガ造りであった壁が崩れ、ほとんどが押しつぶされて圧死したものと思われる。
この三日後、十二月十日。
アメリカ軍は偵察機を飛ばし、被災状況を把握していた。
上空に現れたB29からビラが撒かれた。
丁寧な毛筆によるビラであった。
「地震の次は何をお見舞いしましょうか」
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