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まだスマホでSNSをやる以前の頃みたいに、個人のホームページが賑わうことはないだろうと予測はしていました。昔はホームページ作ってる人同士でコミュニティを形成してましたが、今は同じ忍者ツールズさんのサーバーを借りている人同士、集まれるようなところがないし、あったらあったで、そこで揉め事が起こりそうデスもんね。
一応Google先生に指摘されそうなところは気をつけて直していたけれど、面白くないんです。やっぱり自分で見て、綺麗に出来た!可愛くなった!という喜びって大事だと思います。自己満足でもいいんです。
元々Twitterが嫌になってきて、やめたいと思い、それでも何か書く場所がほしいし、まだファイルが残っていたこのホームページを甦らせたいという一心で昨年から頑張って来ました。
すごく難しかったし、書籍の「動く Webアイデア帳」についていたサンプルや、サイトにUPされてるCSSやJavaScript のデモがなければここまで出来ませんでした。有難いですね。
これからも、自分で満足出来る場所としていろいろ続けたいです。
しかしJavaScript は難しい。
HTMLやCSSはまだなんとかなります。昔のJavaScript は遊びや飾りのようなものだったのに、今は外せないものになっておりますね。
娘も自分のホームページ作りたいって言ってるけれど、一からだと大変過ぎます。
どうやって教えたらいいんでしょうね...。
基礎はホームページビルダーで教わったようなものです。
これはPaint、デザイナー機能が素晴らしかったです。これ単体でほしいくらいです。
なんでも出来ました。今はAdobeのいくつかのアプリを使って補っています。
いいなと思うアプリがサブスクというのは手が出しづらいですね。
どうにかならないかな?忍者ツールズさん。
昔のジオシティーズみたいなのって無理かな。PR -
TOKYO DOME - JANUARY 24, 2024
23曲目 Piano Man ピアノ・マン
アルバム「ピアノ・マン」から。いよいよピアノ・マン。みんな大好きなピアノ・マン。
もうすでにビリーの代名詞となった曲。最近のニュースで、ニューヨーク・ヤンキースの試合を観戦しているビリーの姿をカメラが捉えて、球場にこの曲が流れ、観客一同が肩を組んで合唱するという光景を見た。ビリーもたいそうご満悦の様子。愛されている。
80年代の日本公演で、ピアノ・マンがセトリに入っていたかどうかは覚えていない。みんなで歌うというのは2008年の日本公演のビデオで観た。ビリーが観客の歌声に気づき、バンドの演奏を止めて、歌わせてくれていた。観客の様子に気がついたのはイヤモニを使用していなかったことによるのでは。
私もいつかコンサートでみんなで歌うことを想像しながら一人で練習したものだ。今がその時だ。嘘みたいだ。着席状態を破って、たまらずすでに私は立った。曲が素晴らしいのは言うまでもなく。何も言う必要はない。感激。ありがとう。ウドー音楽事務所さん。粘り強く来日の交渉をしてくださった関係者の皆さん。素晴らしい時間をありがとう。
スマホで録画しながら歌った。
Sing us a song you're the piano man Sing us a song tonight
Well we're all in the mood for a melody And you've got us feeling alrightあとで録画を確認すると、スマホはバッチリ私の声をメインに拾っていた。
当分は再生したくない…自分で自分が恥ずかしい。でもいつかそれも良い思い出になるだろう(涙)
曲が終わり、ビリーがはけて行く。
行かないで、ビリー。
アンコール。
ついに私はたまらずに大声でビリーの名を何度も叫んだ。
上手な指笛も吹けない。みんなで手拍子でビリーとバンドを待つ。
再びメンバーと共に登場する。24曲目 We Didn't Start the Fire ハートにファイア
1989年発表 アルバム「ストーム・フロント」から。
この曲は面白い。ビリーが生まれた1949年からアルバム発売の1989年までの世界情勢の事象を並べ立ててノリノリ。「我々が火をつけたのではない」という。多少の疑問を持ちながらも、そんなことは忘れる。We は米国を指すのではなく、生きているひとりひとりのことだろう。
I can't take it anymore!
それはみんな同じ!もうウンザリだ!
このミュージックビデオは面白い。黒づくめのビリーがどこにでも現れる。時代を見つめるピアノ・マン。
25曲目 Uptown Girl アップタウン・ガール
アルバム「イノセント・マン」から。
この曲で泣いた。この曲を昔にコンサートで聴いた時に私の横にいた連れの事を思い出した。悪い思い出だ。それをこのコンサートで上書きされた。
思い切り楽しめるね、これからも。
マイクスタンドで歌う姿はまだまだ元気だ。
ビリーのファンでなくてもこの曲は有名。CMでよく使われているお馴染みの曲。
さらに、やんや、やんや。
26曲目 It's Still Rock and Roll to Me ロックンロールが最高さ
アルバム「グラス・ハウス」から。
初めて聴いた時、これはロックなのだろうかと思ったものだ。中学生の頃だ。ロックという定義そのものがよくわからないから、50sっぽいと思った。
「グラス・ハウス」は私にとって今までとは違うビリーだという感触くらいはわかった。なんという人のファンになってしまったんだろうと当時は思った。
音楽は好きだけれど、フランスの作曲家のフランソワ・デュボワは、「作曲とは数学である」「作曲は足し算である」、「作曲はかけ算である」と著している。文系でありながら理系でもある。ワタシ、リケイ、二ガテデース。
27曲目 Big Shot ビッグ・ショット
アルバム「ニューヨーク52番街」から。
歌詞は何となくイケズ。ミック・ジャガーの当時の妻のビアンカ・ジャガーに向けて作詞したんだとか。いやいやなんだかすごい歌詞。ミック・ジャガーならこう書くだろうって?煽りまくりである。ビリーって自分のこういう面も気に入っているんだとか。メロディもギターの音も好きではある。
当然、東京ドームは超最高潮。
28曲目 You May Be Right ガラスのニューヨーク
アルバム「グラス・ハウス」から。
うわぁ、やった!
You May Be Right 大好きな曲。なんといっても、レコードに針を落とした途端、ガラスが割れる音がして、ドラムでズドドドドと押しまくられて、今までにないこのぶっといノリには当時夢中になり何度も聴いた。
私はもう歓喜の渦を自作で作り上げて酔いしれていた。「オネスティ」を聴いて好きになったはずなのに、「オネスティ」より、「ストレンジャー」よりもこの曲を愛している。難しいことは置いといて。
好きならば好きなのだ。ついに、プログラムは終わった。アンコール曲はとても濃かった。
「サンキュー、トウキョウ! Good Night! 」の言葉を残して、午後9時25分、終了。
ドームの照明がついた。…ああ、終わった…2時間22分。思ったよりも長いステージだったが、実際は一瞬に過ぎたようにも思う。おそらく日本公演は最後になるだろうという予測は当たるとは思われる。さらに以前のような、東京以外での公演はないと思った方が良いのではないか。ステージ後に1週間の休養と準備が必要になるということは、スタッフを大勢抱えては莫大な費用がかかりそうである。
2024年公演に行けなかった大勢のファンのために、ワンナイトでも良いから、来日公演を再び実現させてくれないだろうかと願う。長生きしてね、ビリー。あとがき。
人見知りが激しい私にとって、一人で東京ドームの4万人の中に行くのは勇気がいった。ビリー・ジョエルにまた会いたいという気持ちだけで、滞在時間25時間ほどの行程を強行した。コンサートのあと、ひとりでホテルの部屋に帰るのは寂しい。初めてこの気持ちを味わった時は涙が出た。隣り合わせた人と少しでも話が出来れば良いのだけど、なかなか難易度高いのだ。なんとかならないか、この性格。でもひとりは気楽である。少しは慣れた。
初めて行った東京ドームは最後の最後まで私を怯えさせてくれた。回転ドア前は混んでいたので、「左側のドアからもどうぞ」というアナウンスに素直に従ってドア前に並んだ。メガネと帽子を押さえて下さいということだった。
私はメガネを押さえながら脇を自然に締める体勢を取って出ようとしたら…
どこから吹いていたのか、強風に背中をドンと押されて飛び出していた。
前には両手を広げて受け止めるための警備の人が二人いた。なんとか自分の足で踏みとどまれた。これが東京ドームの風か!と誰かが言った。
え?有名なの?知らなかった。
昔はビッグエッグって呼んでたよね。ステージをスマホで撮影はOKだったが、デジカメやiPadでの撮影は禁止とのアナウンスがあったので、iPadは出せず、iPhoneSEで撮ったので、しょぼかったのが残念だ。映像での思い出は他の人に任せる事にした。
iPadでの撮影は我慢したのだから、素晴らしいライブビデオの発売はしてほしい。してください。首を長くして待ってる。ソニーさん。終わり。
拙いレポート、読んでいただき、ありがとうございました。
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TOKYO DOME - JANUARY 24, 2024
1曲目 My Life マイ・ライフ
1977年発表 アルバム「ストレンジャー」から。
ビリーがいるー。小さく見えてるだけだけど、そこにいる!こっち向いてる?あっち向いてる?顔面か後頭部か、スキンヘッドゆえ、どっちも肌色だからわからないけど良い!うんうん一曲目はこの曲やなぁとしみじみ。
2曲目 Movin’ Out (Anthony’s Song) ムーヴィン・アウト
アルバム「ストレンジャー」から。ビリーの詩には物語がある。この曲は特に。一度聴いたら忘れらららら…れない曲。ビリーが日本語で挨拶してくれた。
「ミナサン、コンバンハ。ヒサシブリデスネ。ドウモアリガトウ」
「サイゴマデ、タノシンデ、クダサイ」
今までこんな長く日本語で話してくれるのは聞いたことがなかったので嬉しい驚き。アルバムの発売年度などの紹介から曲が始まるので、聞き逃さずにどの曲か予想などしながら次を待つ。
3曲目 The Entertainer エンターティナー
わーい!
1974年発表のアルバム「ストリートライフ・セレナーデ」から。
another longhaired band で多分後頭部撫でているかもしれないから私もやっておいた。力強い歌声。このアルバムは「ストレンジャー」「ニューヨーク52番街」がヒットした後に購入した。ビリーのアルバムは全部集めると決めていた。このアルバムの中では「場末じみた場面 The Great Suburban Showdown」が好き。よくよく対訳を読むと「?」となるので、密かに歌詞の意味をビリー先生に訊ねたいと思っているが叶わないだろう。
4曲目 Honesty オネスティ
1978年発表「ニューヨーク52番街」から。
日本で定番の曲。この曲を知る人は多く、誰もが良い曲だと言う。
もう何も頼らず脳内で再生出来るくらい聴いた。また聴けた。喜びも一塩というもの。
5曲目 Zanzibar ザンジバル
アルバム「ニューヨーク52番街」から。
冒頭、ちょっと音が不協な「さくらさくら」。気を使わなくても良かったのに。
ありがとうビリー。桜が咲く季節にまた日本へおいでくださいと誰か伝えて。
私はいつまでも待ってると誰か伝えて〜。(ソニーの人なら誰の曲かすぐにわかる。)
カール・フィッシャーのトランペットがとてもカッコいい。JAZZなんだけどロックぽい。トランペットとピアノ。男臭い痺れる曲。ビリーのバンドはメンバーが変わっていて私は初めてのカールのトランペット。さすがショー。ステージが別世界。そこだけニューヨークのダウンタウン、ブルックリンの一画が見えるような気持ちに。
6曲目 Start Me Up-The Rolling Stones cover-
ここでノリノリで歌うビリー。「僕はミック・ジャガーじゃないよ!」と言ったように聞こえたけど、どうかな?ロックだからもっと強めに訳した方がいいかもしれない。御年80才!ミック・ジャガーはあまりよくわからないけど。まだまだビリーは行ける!
7曲目 An Innocent Man イノセント・マン
1983年発表のアルバム「イノセント・マン」から。
このアルバムからアナログ盤ではなく、CD盤に切り替えたことを覚えている。今から思えば両方買いだったな。曲調もまだキリキリのCDではなくアナログ盤の方が雰囲気が合っていた。「今宵はフォーエバー This Night」は最高傑作。ぜひ聴きたかった。
ビリーは髪のことを言っていたように聞こえた。髪はヒューっと飛んでいきという感じで口笛を吹いた。昔と違って高音が出るかわからないと言ったそう。実際に過去のライブ映像でクリスタルちゃんが高音のパートを担っていたのを観た。声質に違和感がなかったので大丈夫と思っていたら、ビリーさん、高音バッチリ出ていた。やんや。やんや。
8曲目 The Lion Sleeps Tonight ライオンは寝ている
トーケンズによるニューヴァージョンで1961年に全米第一位に輝いた曲で有名。ドゥーワップ、R&Bとくれば次はこの流れで行く曲は…
9曲目 The Longest Time ロンゲスト・タイム
アルバム「イノセント・マン」から。
バンドメンバーもステージのビリーと並んで、アカペラで歌う。
この曲ももちろん好きだ。ミュージックビデオも、自分の中では上位に入る。
マーク・リヴェラはサックス・ソロ、メンバー最古参。
「ストレンジャー」 の口笛も担当。私にとっても一番馴染みのあるメンバー。
もうマーク大好き。いつまでも若々しい。マークのパートでは手が赤く腫れるほど拍手を送った。おそらく届いていないと思うけど、これは気持ちの爆発だから。
もう、やんや。やんや。
10曲目 Don't Ask Me Why ドント・アスク・ミー・ホワイ
1980年発表 アルバム「グラス・ハウス」から。
この曲が聴けるなんて!意外に思った。そろそろ「夏、ハイランドフォールズにて Summer, Highland Falls」(1976年発表「ニューヨーク物語」に収録)が聴けるかもと思っていたけれど、この曲が聴けて嬉しかった。間奏のピアノとパーカッションが好き。
11曲目 VIENNA ウィーン
アルバム「ストレンジャー」から。この曲は絶対に聴きたかった曲の一つ。
Slow down, you crazy child
なんだか頭に来ることがあると、ふいにこの歌詞が思い浮かんでしまう。落ち着こうって思い、この曲を実際に聴いてみる。まるでビリー先生が優しく諭してくれているような気持ちになる。アメリカの高校生の卒業式ではまだ歌われているのだろうか。聴けて良かった。
12曲目 Keeping the Faith キーピング・ザ・フェイス
アルバム「イノセント・マン」から。
結構意外な選曲。このミュージックビデオもなかなか面白くて繰り返し観たものだ。
聴けて嬉しかった。
13曲目 ALLENTOWN アレンタウン
1982年発表 アルバム「ナイロン・カーテン」から。
この曲はコンサートでは外されることがないように思う。固いものがぶつかる音がリズムを取る。実在する製鉄所の街が衰退していくことを嘆くような歌詞ながら曲調は明るい。1980年代の曲が今の日本の不況とどこかマッチしている。労働者の応援ソング。きっと良い目が来ると信じてアレンタウンで暮らしている。アレンタウンはサービス産業で立ち直ったそう。シッ ウッ ハッコンサートの中盤になり、すっかりご機嫌に酔いしれた。手でリズムを取っていたので手のひらが痺れていた。もっと体を動かしてリズムを取りたい、踊りたいのだが、
外野席は見たところ着席状態だった。立つと隣の人や後ろの人に迷惑だろうかと次第にモヤモヤし始めた。しかしステージからはこの席は見えていないと思われた。
14曲目 NEW YORK STATE OF MIND ニューヨークの想い
アルバム「グラス・ハウス」から。
ステージの大きなスクリーンにはニューヨークの摩天楼が映し出された。
一度は憧れる街、ニューヨーク。曲全体が本当にカッコいい。文句なし。
うっとりする。スマホのライトがキラキラと瞬きムードを盛り上げる。スマートフォンも使い用でコンサートやライブの演出として優れているかもと感心もした。
素晴らしい。
15曲目 The Stranger ストレンジャー
アルバム「ストレンジャー」から。
日本で大ヒットしながら本国ではそうでもないってそんなバカなと思うほど、「ストレンジャー」も馴染み深く愛聴する曲。口笛から始まるイントロからすべてがクール!
You may never understand how the stranger is inspired
But he isn’t always evil and he is not always wrong
Though you drown in good intentions
You will never quench the fire
You’ll give in to your desire when the stranger comes along
ここが特に好き。
16曲目 Say Goodbye to Hollywood さよならハリウッド
アルバム「グラス・ハウス」から。
さよならハリウッドは、1981年発表のライブ音源を集めたアルバム「ソングズ・イン・ジ・アティック」で聴くのが最高だった。今、その最新ライブヴァージョンを聴いてるんだ、すごいよ…ぶるぶるっと来た。思わず涙ぐむ。この選曲は超絶最高!!!
ヘロヘロだったのに元気がみなぎって来た。
17曲目 Sometime a Fantasy 真夜中のラブコール
アルバム「グラス・ハウス」から。
ここからは私もヒートアップ!イントロからハートがドキドキするし、ノリノリだし、♪プーパッパルーパッ!と一人で合いの手入れてしまうし、この曲が40年以上前とは思えないほど楽しい。気持ちはすでに中学生のあの頃へ。こんな今を予想できた?
18曲目 Only The Good Die Young 若死にするのは善人だけ
アルバム「ストレンジャー」から。
ライブ映像では定番の曲。
Come out, come out, come out Virginia, don't let me wait
You Catholic girls start much too late
But sooner or later it comes down to fate I might as well be the one
ここ好き。カトリック教徒のヴァージニアを誘惑する曲として放送禁止になったという話。歌詞はいつもどこか明るくて、スカッとするメロディで長く愛聴している曲のひとつ。コンサートは最高潮。
19曲目 River of Dreams リヴァー・オブ・ドリームス
1993年発表 アルバム「リヴァー・オブ・ドリームス」から。
この曲は当時よりもここ最近、興味を持って愛聴していたので嬉しいの一言。
コンサートで初めて聴いた。もちろん初めてとは思えないほど馴染んでいた。20曲目 River Deep Mountain High リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ
アイク&ティナ・ターナー による
1964年発売 アルバム「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」から。
River つながりでだろうか。ティナ・ターナーは昨年2023年5月に逝去。ビリーとは、プロジェクトUSAフォー・アフリカのチャリティソング、「ウィアー・ザ・ワールド」で並んでレコーディングをしていた姿が思い出される。追悼の意味も込められたのだろうか。コンサートの時はこの曲のことは知らなくて、パーカッション、ヴォーカル担当のクリスタル・ タリエフェロがステージ中央に踊り出て来るのを見て、なんて可愛いんだろうと思って見惚れてしまった。衣装にもクリスタルが散りばめられているのだろうか。ライトを反射してキラキラ輝いて美しい瞬間。本当にステージの上は別世界だった。まるで夢のよう。
21曲目 Nessun dorma 誰も寝てはならぬ
ジャコモ・プッチーニの歌劇「トゥーランドット」のアリア。
マイク・デルジュディスの詠唱。物語の舞台は中国の北京。トゥーランドット姫は中国人。改めて聞き直すと初めて聴いたのではなく、幾度となく何気なく聴いていた曲だった。マイクもスキンヘッド。良い声をしている。聴き入った。
22曲目 Scenes from an Italian Restaurant イタリアンレストランで
アルバム「ストレンジャー」から。
A bottle of white, a bottle of red Perhaps a bottle of rose instead
We'll get a table near the street In our old familiar place You and I
face to face…照明が歌詞にあるワインボトルに合わせて、白、赤に変わる。Brenda and Eddie、ブレンダとエディとは昔の友人だった元恋人同士だった二人が、My sweet romantic teenage nights と、
甘くほろ苦い10代の頃を思い出しながら差し向かいで懐かしんでる。イタリアンレストランで。ドラマティックな曲。マークのサックスも痺れる。やんや。やんや。
「夏、ハイランドフォールズにて」も聴きたかったけれど、7分を超える大作を聴かせてくれた。惜しみなく拍手を贈る。
私の席からはよく見えなかったけれど、ビリーが、ふうっと大きく息を吐いたように聴こえた。ここまで怒涛の歌唱と演奏をこなすビリーも、疲れたかもと。
すると観客席がざわざわし始めた。ビリーがハーモニカでピアノマンのさわりを吹いた。
ついに来た。
ピアノ・マンでエンディング、暗転、そしてアンコールへか。
残り時間はあと少しなんだと思う。どうか終わらないで。もっと聴きたい。
このピアノ・マンは観客待望の曲。もう止められない。 -
午後5時半、開場。
私はホテルの小さな部屋で一息つき、一通り静電気を退治した後、ヨレヨレのまま再びあの東京ドームへ向かった。それがちょうど開場時間の午後5時30分だった。開演は午後7時。30分でJR水道橋駅まで行けるとみて、ゆっくりとホテルの最寄り駅に向かった。
前回に書いたように東京ドーム到着時、午後6時頃には広場前は人でごった返しており、まずどこから入ろうかと思うも、記念写真を撮る人が多かった。私もそこで出会した方々に写真を撮ってほしいとお願いして撮ってもらった。心の中はウキウキでニカニカ。こんな日が来るなんて思いもよらなかった。
Nagashima Gate を見上げてあまりの立派さに驚く。
私の席は注釈付きS席、11番ゲートからの入場。だいたいどの辺りかは地図で調べておいた。22番ゲートから左側に半周するぐらいは歩いた。
ゲートに入ってから一列目の席へ。外野席レフト側の最前列になっており、急な階段を降りなければならず、少々怖かった。階段の高さも通常より高い。ここから転落でもしたらコンサートにミソがつく、転落を目撃した人も嫌な思いをするだろう、落ちるわけにはいかないって内心は必死だった。
やっと着席出来た。意外にドームの中は暑く、セーターを着ていては汗が流れてくる。セーターは脱いでコートと一緒にGUの大きめのトートバッグに仕舞う。ちょうど良い大きさで汚れも気にしなくて済む。ビリーのTシャツ着用でバッチリ。そうこうしているうちに開演時間の午後7時が迫って来た。コンサートの前日に新曲「Turn The Lights Back On」が2月に発売されるという告知があったが、私は新曲の初披露はやはりアメリカじゃないかと思ってあまり期待していなかった。
コンサートが始まる。スマホでも点灯、撮影は許可されていた。観客のスマホのライトがキラキラと煌めき、ドームに流れ始めた軽やかな曲に呼応するかのように見えて、すでにドーム内に一体感が生まれていた。曲は映画「ナチュラル」のサントラ曲で、遅れて来たルーキー役をロバート・レッドフォードが演じた。ビリーは本当に野球好きなんだなぁと思う。ここも野球場である。
書き上げた文章は文字制限を超えたので、分割して、その②に続きます。 -
いざ東京ドームへ!
2024年1月24日当日。前日は一睡もできなかった。ここ鹿児島では雪が降り積もっていた。午前8時台の鹿児島空港発、羽田空港行きの飛行機に乗る為には午前6時までには家を出なければならない。道路にはうっすら雪が積もり、ところどころは凍結しているところもありそうなので、車を出してもらえるにしろ、スピードは控えめに、急がずゆっくりと走ってもらうには時間の余裕が必要だった。私を送ってもらうために事故してしまったら、申し訳ないどころではないし、最悪空港に行くのも断念しなければならなくなる。ゆっくりゆっくりと空港へ向かう。鹿児島空港は標高が高いところにあるので、どんどん道が悪くなって行ったが無事に空港へ着いた。ホッとする。
ところで、申し訳ないが私には東京への偏見がすごい。目標は生きて帰宅することと思うくらい。何が起こるのかもわからない。天候も悪く、大寒波が東京に来ていた。
不安しかない。その上私はありえないくらいの方向オンチである。自分のカンで左折か右折かで迷うと必ず逆方向に行ってしまう。おかしいほど逆方向に進んでしまう。Google mapsの案内ですら、どっち向いているかわからなくなるほど。
11時ごろには東京ドームの最寄り駅の水道橋駅に到着。だいたいコンサートのために来たであろう人はなんとなくわかったのであとを着いて行った。グッズ販売はまずVIPss席のチケットを持ってる人から開始。一般のチケットの私はあと2時間半ほど待たなければならないが既に長蛇の列。その最後尾に並んだ。私の後ろにはどんどんと人が連なって行く。
並びながらどれにしようか考えに考えた。
この写真の他にもキーホルダーやラグマットもあった。日本公演限定のグッズ、日本語で書かれたお湯呑みやTシャツもあった。
一番左のワールドツアーのTシャツ、エコバッグ、そしてパンフレットの3点に決めた。
しかし当日は最強寒波が襲来。寒風吹き荒ぶなか、じっと並ぶのは骨身に沁みた。でも並んでいる人は皆同じ寒さに耐えている。頑張ろうと踏ん張って立ち続けた。
買い終えたのは午後1時頃だったか。
その時間は人は多くなく、ごった返す様子もなかった。ひとしきり東京ドームの写真を撮り、今夜の宿に向かう。もう既にヘロヘロ。足腰ガクガク。午後2時過ぎに宿に着くもチェックインの1時間前だったのでロビーで休ませてもらう。すでに疲れ切っており、早く横になりたかった。今夜大丈夫か?
時間配分は予測がつかないので余裕を持って移動した。
部屋に入れて1時間ほど休憩。寒波に伴う強風で髪は静電気を帯びてめちゃくちゃになっていた。コートはカシミヤだがマフラーはポリエステルだった。そのカシミヤのコートはお義母さまから頂いたものである。ありがたく愛用している。軽くて暖かい。しかしカシミヤとポリエステルの相性は悪く、静電気を帯びやすい状態であった。知らなかった。これまでこんなに静電気に纏わりつかれた経験はなかった。大気は乾燥状態で静電気発生必至。東京は静電気が渦巻いているの!?東京は恐ろしいところだと、さらに東京への偏見が増した出来事だった。ごめんね東京。
髪を水で湿らせ櫛で解かす。バスタブにお湯を落として湿り気を部屋へ。コートにも水を吹きかけておく。櫛にはマフラーとコートの繊維屑が付いてくる。山間部の湿り気が大嫌いだったのだが、この関東平野の乾燥状態を経験すると、湿気も必要なものなんだと思うに至る。
ハイネックのセーターはウールとポリエステルの混合。着方を考えれば静電気をある程度防げると思い、セーターの上に買ったばかりのビリーのTシャツを着込んだ。コットン100%。その上からマフラーを巻き、コートの外に出さずにまとめた。
これで静電気は防げた。大変だね、東京。
再び東京ドームへ。正面の22番ゲートはすでに人でごった返していた。少々戦慄を覚える。それにしても男性ばかりだ。こんなにおじさんたちが一堂に会する場面はそうそうないだろうと自分の経験値から思う。満員電車のスーツ姿のサラリーマンとは違う。昔は中学生、高校生だった元少年たちが結集していた。私にビリー・ジョエルを勧めてくれた同級生の男の子も、もうこれくらいのおじさんになっているんだろうな。多分そばに居てもお互いにわからないであろう、私もいいおばさんになっているのだから。
普段は思いもしない通りすがりの人たちのその昔々を、ここでは思い巡らせことが出来た。もう怖くない。しっかりと楽しもう。あの日の少年たちと少女たちと一緒に。
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チケットを入手するまでの話。
One Night Only in Japan 2024年1月24日水曜日。
一夜限りのコンサートをビリー・ジョエルが日本でやるって。
その第一報がどこからもたらされたのかもはや覚えてはおらず、まさかそんな日が来るなどと思ってもいなかった。
1993年にアルバム「リヴァー・オブ・ドリームス」をリリースした後、
ビリーは現役ミュージシャンとしての活動からの半引退状態で、彼の活動はライヴを主体とするものとなったからだ。その後、クラシックへ移行する。
1994年に初めて行われたエルトン・ジョンとのジョイント・ツアー「フェイス・トゥ・フェイス」がコンサート活動の再開となる。
私事では1991年に結婚、1995年1月に妊娠、続いて切迫流産の状態と判明して入院、絶対安静で2カ月の入院、激しい悪阻が5月のゴールデンウィークまで続き、10月に出産と人生でもっとも劇的な最中にいた。
ビリー・ジョエルもTMNETWORKも吹き飛んで、みんなのうたや、おかあさんといっしょの子ども番組に必死になる。あとはよろしゅうお察し下されば...。
Twitterを始めてからビリー・ジョエルのアカウントをフォローすると、The Garden のにコンサートがマディソンスクエアガーデンで行われていることを知る。主に北米での活動。
日本公演など完全に諦めていた。大事にとっておいたアナログ盤を、買い直したOnkyoのポータブルレコードプレイヤーで、懐かしみながらビリーの曲を聴き始めていたのに、一夜限りの日本公演?何というお知らせ!胸が躍った。
2023年9月、第一回の抽選発売にローチケよりエントリーをした。
あえなく落選。第二回、ローチケサイトよりアクセスするもアクセス出来る前に終了してしまう。Sold Out。もはやこれまでか。
諦めるために都合の良い情報はないかと探すものの、どこにも書かれていたのは、「日本公演はこれで最後ではないか?」というもので、とてもじゃないけど諦め切れるものではないことがよくわかった。Xで落選したとポストすると、OneNightのチケットが当たったらしきアカウントがいいねをして来る。その上抽選で当選した即日、そのチケットを売るという。どういうこと?コンサートは来年、9月の現在ならどんな予定も変えて行くことが出来るだろう。転売ヤーめ。これは本当に悔しかった。最初から行くつもりがないならエントリーしないでほしい。無駄だろうとは思っていたもののXのウドー音楽事務所のアカウントに「追加公演のお知らせをお待ちしております」とリプを送った。
半分は諦め、半分はもしやという期待を抱きながら送る日々は気もそぞろ。TMNETWORKも40周年を迎えるにあたって、時期が重なってしまうことに心が少し痛んだ。発売されているビリー・ジョエルのCDやアナログレコードのセット、見逃せないものも多かった。自分自身でもどこかで、「もうビリー・ジョエルは日本に来ることはないだろう」と思っており、新曲もアルバムももう出ないだろうと思って、今持ってるもので満足しようとレコードプレイヤーを買った時にそう思っていた。今では音楽のサブスクリプションで、どんな曲でも配信されていたら聴ける。
「コールド・スプリング・ハーバー」から「ザ・ブリッジ」までのアナログ盤、「コンチェルト」からの企画ものCDという、古いものでも十分楽しめるだろうと。
ところが、ピアノ・マン 50周年記念デラックス・エディション SACDマルチ・ハイブリッド盤 (7インチ紙ジャケット仕様)が、今年の2月28日に発売される。予約受付も始まっていることを知る。商品の説明には、
“【完全生産限定盤】2CD+DVD / リリース50周年を記念した、世界初登場となるSA-CDマルチ・ハイブリッド盤を含む3枚組デラックス・エディション(DISC1:SACDマルチ・ハイブリッド盤、DISC2:高品質Blu-spec CD2、DISC3:DVD)
※在庫がなくなり次第終了となります。“CDは進化している。SA-CDマルチ・ハイブリッド盤とはなんぞや?
そう思っているうちに、2018年、今から5年前ほどに
“ストレンジャー 40周年記念デラックス・エディション(完全生産限定盤)”
“ニューヨーク52番街 40周年記念デラックス・エディション(SACD 5.1ch HYBRID 7インチ紙ジャケ版)(完全生産限定盤)の2タイトルをAmazonで発見。要は、「ストレンジャー」「ニューヨーク52番街」の2タイトルが豪華特典付きで発売中、ピアノ・マン 50周年記念デラックス・エディションは予約受付中!ということだ。先の2タイトルはまだ在庫が残っていて良かった。
デラックスエディションの内容を書き出してみよう。
ストレンジャー 40周年記念デラックス・エディション(完全生産限定盤)
大都会ニューヨークの孤独と躍動感を音像化した、ポピュラー史上に爆然と輝くビリーの代表作、「ストレンジャー」日本発売40周年記念!思い出のアイテムの数々を初復刻した、ファン垂涎の永久保存盤(日本独自企画)!!
ストレンジャー
40周年記念デラックス・エディション-SACDマルチ・ハイブリッド盤1977年に発表された、通算5枚目のスタジオ・アルバム(日本では1978年1月に発売し、同年4月に初来日)。念願かなってフィル・ラモーンを初めてプロデュースに迎えた本作は、収録曲「素顔のままで」がグラミー主要2部門(最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞)を受賞し、USだけで1000万枚以上のセールスを記録。日本独自のシングル・カットとなった「ストレンジャー」も40万枚超の特大ヒットを記録し、ビリーの代名詞の一つとも呼ぶべき作品となっている。
豪華仕様と封入特典
◆DISC1
SACDマルチ・ハイブリッドディスク仕様(SACD5.1ch &2ch、そしてCDがこの1枚で再生可能)
SACD層:2000年DSDマスタリング(オリジナル・アナログマスターより)による5.1chサラウンド音声と2chステレオ音声を収録(全9曲)
Remastered for SACD by テッド・ジェンセン/5.1ch サラウンド
Mix Produced by フィル・ラモーン(本作のマルチ音声盤は日本初リリース)
CD層:2011年デジタル・リマスター<オリジナル・アナログマスターより)
日本初CD化となる5曲の貴重なライヴ音源を追加収録(全14曲)
Remastered by テッド・ジェンセン:現存する最新リマスター音源(国内盤未発売の「The Complete Albums Collection』 BOXより)を採用◆DISC2
高品質Blu-Spec CD2仕様(30周年記念盤に収録された「ライヴ・アット・カーネギー・ホール
June3, 1977」をBlu-Spec CD2仕様にアップグレード)(全12曲)
18cm✕18cmの7インチW紙ジャケット仕様
◆オリジナルLP(US初版)内袋復刻◆オリジナルLP(国内盤)初版帯復刻
◆オリジナルLP(国内盤)風レーベル面CD◆「ストレンジャー・ツアー」1978年初来日公演パンフレット(6面三つ折り:リサイズ)(40年振り復刻)
◆「ストレンジャー・ツアー」1978年4月23日(日)サンプラザホール公演
チケット(実寸大)(40年振り復刻)
◆「ストレンジャー・ツアー』初来日公演告知チラシ(おもて面は東京版、裏面は大阪版を再現:リサイズ)(40年振り復)
◆「ストレンジャー」日本盤発売当時の告知ポスター(2種:リサイズ)(40年振り復刻)
◆「ストレンジャー」からカットされた日本盤アナログ・シングル・ジャケット3種(実寸大)(40年振り復刻)
「ストレンジャー」オリジナルLP(国内盤)帯2種(初版を除く第2刷以降)(40年振り復刻)
◆「ストレンジャー」2008年レガシー・エディション ブックレット(カラー24P:リサイズ)
◆1978年発売のオリジナルLP(国内盤)ライナー・ノーツに加え、2008年の30周年記念盤に寄稿された英文ライナーノーツ完全翻訳と、78年リリース時の日本の担当ディレクターが寄稿したく「The Stranger』発売の頃)、更に新規ライナーノーツと歌詞・対訳を掲載した日本語ブックレット(モノクロ60P)
※ソニーミュージックによるデラックスエディションの宣伝を引用しました。
ニューヨーク52番街 40周年記念デラックス・エディション(SACD 5.1ch HYBRID 7インチ紙ジャケ版)(完全生産限定盤)誠実な音楽の響きは、時代を超えて生き続ける。ピリーの代表作の一つにして歴史的名盤、「ニューヨーク52番街」40周年記念!思い出のアイテムの数々を初復刻した、ファンの永久保存盤(日本独自企画)!!
ニューヨーク52番街
40周年記念デラックス・エディションSACDマルチ・ハイブリッド盤1978年に発表された、通算6枚目のスタジオ・アルバム。ビリーにとって初の全米週間アルバム・チャート1位(全米年間アルバム・チャートも1位)獲得作品となり、USだけで700万枚以上のセールスを記録。「オネスティ」、「マイ・ライフ」、「ビッグ・ショット」などの大ヒット曲を収録、第22回(1979年度)グラミー賞では最優秀アルバムと最優秀男性ポップ・ヴォーカルの2部門を受賞した。1982年には世界初の商業用CDとして生産された、音楽産業史上の記念碑的な作品でもある。
◆SACDマルチ・ハイブリッド・ディスクを採用(SACD5.1ch & 2ch、そしてCDがこの1枚で再生可能)- SACD層:2001年DSDマスタリング(オリジナル・アナログマスターより)による5.1chサラウンド音声と2chステレオ音声を収録
Remastered for SACD by テッド・ジェンセン/5.1ch Suround Mix Produced by フィル・ラモーン - CD層:2011年デジタル・リマスター(オリジナル・アナログマスターより)
Remastered by テッド・ジェンセン:現存する最新リマスター音源(国内盤未発売のiThe Complete Albums Collection BOXより)を採用
◆18cm✕18cmの7インチ紙ジャケット仕様
◆オリジナルLP(国内盤)初版帯復刻◆オリジナルLP(US初版)内袋復刻
◆アナログLP盤風レーベル面CD豪華仕様と封入特典
「ニューヨーク52番街TOUR』1979年日本公演ツアー・パンフレット(カラー36P:リサイズ)(約40年振り復刻)
◆ニューヨークの地図が印刷された小窓付きのツアー・パンフレット・ケース(リサイズ)(約40年振り復刻)
◆時ツアー・パンフレットに封入されていた4つ折りポスター(リサイズ)(約40年振り復刻>
◆「ニューヨーク52番街TOUR』 1979年5月21日(月)武道館公演チケット(実寸大)(約40年振り復刻)
「ニューヨーク52番街」からカットされた日本盤アナログ・シングル・ジャケット5種(実寸大)(約40年振り復刻)
◆「ニューヨーク52番街」オリジナルLP(国内盤)帯4種(初版を除く第2刷以降のもの)(約40年振り復刻)
◆78年発売のオリジナルLPと90年の再発CD、更に2018年の自社一貫生産復活アナログ盤に掲載された全ライナー・ノーツに加え、1978年時の日本の担当ディレクターによる最新ライナー・ノーツ、歌詞・対訳を掲載した40Pブックレット
※ソニーミュージックによるデラックスエディションの宣伝を引用しました。これは絶対にほしい。サイズはドーナツ盤と同じくらいなので、シングルジャケットはそのまま、裏には歌詞と和訳が昔のフォントのままで懐かしい。アルバムを買ってシングルカットされたものまでは持っていなかったので、感激。
日本公演の当時のチケットのレプリカまで付いてる。パンフレットまでも縮小で付いているという至れり尽くせりで、コレクションとしてでも持っていつでも眺めたい逸品。ソニー側のビリーへの愛情が伝わって来る。アナログ回帰が目覚ましい音楽業界、その流れを担うのはアナログレコードで音楽にのめり込んだ年代になるだろう。それを見た若い人たちもアナログレコードの重量感や手触り、ジャケットの大きさに特別感を感じるのかもしれない。
https://x.com/yg2n8/status/1740575936926658843?s=61
ソニーミュージック、さすが。にくいね!このスペシャルなデラックスエディションの2タイトルがあればコンサートに行けなくても満足出来そうだった。素晴らしい。
コンサートに行こうという気力はもう遠くに失ったかのように思っていたのに、2020年のコロナ禍で得たものはTMNETWORK 、特にウツ(宇都宮隆)の影響によるもの。TM再始動の流れを作ったFANKSの力に感化された結果である。
ありがとうTM。
TMは社会人になってから辛い日々の支えになってくれた。
ビリー・ジョエルは、中学生になって何か言い表わすことが出来ない混沌とした学校生活の中での、音楽に浸る楽しみを教えてくれた。傷ついていても傷ついていないふりをし、寂しくても寂しくないふりをして意地を張って大人ぶっていた少女時代に、大人の音楽でバックアップしてくれたビリー・ジョエル。
今から思えばたった3年間の短い日々の集まりの中の記憶は、ほぼビリー・ジョエルへの想いで塗り替えることが出来る。
ありがとうビリー・ジョエル。何がなんでもチケットを入手したい。
2023年12月29日、東京ドームワンナイトのチケット抽選受付の発表、即エントリー。今度こそ落選したら諦めようと覚悟を決めた。悲しいけど。
これで反応してもらえるとは思ってはいないが、送らずにはおれず引用ポストなどを思わずしてしまった。
そして石川県の震災、羽田空港の事故などで幕を開けた2024年1月12日、コンサート当日まであと12日という日に、注釈付きS席のチケット当選のメールが届いた。続く。
- SACD層:2001年DSDマスタリング(オリジナル・アナログマスターより)による5.1chサラウンド音声と2chステレオ音声を収録
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つい先日、ブルースカイからアカウント作製OKのお知らせがメールで来ました。
でも見たところ日本語アカウントが見当たらず。
TwitterもXもうんざりなのに気になる話題があると覗いてしまうのが癖になってる。
それでもやはりドブのような書き込みをずっと読んでしまう悪習慣ね。
そう思ってここを始めたものの、実生活の雑用が一気にのしかかり、書きたいことが山ほどあるのに考える力が削がれていく。いよいよ冬の寒さが本番?身体は痛さが増すし気持ちが落ち込んでいく。どこかで誰かがお互いを罵り合い、自分こそは正しい善人であり成熟した大人であるといいながら、またその自己弁護のために何ヶ月、または何年もかけて書き続けているけど、
ぜーんぶうんこ。うんこであろうと表現の自由はある。一応。
自分の人生に死ぬまで自己弁護でもなんでもすればいいけれど、人の迷惑になることはやめた方がいいし、いちいち善人ぶるのやめなさいよ。たかが知れてるんだから。 -
作ってみたいなーと思っていたハンバーガーボタンができました。
自分で一から作れなかったので、購入した書籍の著者が公開しているサンプルサイトに行って、目を皿のように一行一行を凝視しつつ、カスタマイズできるところを探して4色のボタンを作りました。もうこれで出来上がりだ、そう思って夜眠ると次の朝には、あそこは変えたほうがいいかなぁという気持ちがむくむく湧いてきて、なかなか終わりませんでした。
ハンバーガーボタンには馴染みがあるようなないような?
通販サイトには大抵ありますね。クリックやタップすると、びろーんとメニューが出てくるやつですね。ボタンを作って終わりじゃなく、そのメニュー画面もカスタマイズできるので背景色をグラデーションにしてみました。
ところでハンバーガーボタンの歴史は意外と古いものだったようです。知らなかったです。
その上批判もあるとか。あれを見ても何かが起こるとか思えず、わかりにくいだろうとのこと。
確かに三本線だけ置いてみても何となくしっくりこず、せめてMENUという文字だけは入れたいなと思い、やり直しました。各トップページに合わせて色を変えて置いてみたら、3本線だけよりはいい感じになりました。
動くWEBデザイン アイデア帳
こちらのサイトです。懇切丁寧です。
パンくずリストも作ってみました。サンプルサイトのコピペですが、これがあるのと、ないのとではGoogleさんのウケを左右する、というか閲覧者ファーストになるんですね。
パンくずリストはそう難しくないのですぐ実装できると思われます。
X SERVERの解説に倣ってやってみました。
X SERVER 初心者のための会社ホームページ作り方講座
わかりやすく解説されています。
モバイルユーザビリティ、レスポンシブWebデザイン、それがSEO対策というもの?これ無くしては昔のように検索からホームページに来てくれる人を増やすことは出来ない…。いや、自己満足でいいんですけどね。やれば出来るということがわかって良かったです。
しかし、きっつー。
Google サーチコンソールに行って、指示に従いつつ、見た目の雰囲気は度外視して作り直しました。テキストや画像アップよりもこの土台作りが難しかったです。 あとは中身の問題。それが一番難儀でしょうね。 ところでこのブログもiPadを縦にしたら現れるのですが、開かないことがちょくちょくあります。 SafariとGoogle Chromeでは開くけど、Googleでは開けない問題、そこを何とかしたいので、まだまだ画面と睨めっこは続きそうです。
とても助かったサイトも書いておきます。
リンク切れチェックサイト
TRICKSTERリンクチェッカーLink Checker
めっちゃ高速で有能でした。
サイトマップ作成サイト
Sitemap Details
ここも高速で有能でした。
他にも便利なサイトはリンクのコーナーに並べております。
自力では無理でした。本当にありがたいことです。 -
https://recommend.shinobi.jp/sougo/detail/mrid/619
コツコツとホームページ制作をし、今必須らしいSEO対策もちまちまと行なっております。 少しづつ、Googleのインデックスに載せてもらいつつ、おそらく自分のページを検索してクリックするのは私だけという現在。WordPressは二度めの挫折。 Googleさんに認めてもらうのは難しいような。文字を大きくしてコンテンツがスマホでもはみ出さないようにする、ビューポートのメタタグは入れておく、この3点でクリアできそうなので、モバイル寄りの作りになるのは致し方なく、というところですかね。 もしよろしければ相互よろしくお願いいたします。